Vol.34 小林英嗣さん「モエレ沼公園とアルテピアッツァ美唄に潜む”静謐な何か”」

「モエレ沼公園とアルテピアッツァ美唄に潜む”静謐な何か”」

MFC/NPO法人モエレ沼公園の活用を考える会/代表理事 小林英嗣

 先日の中南米からの帰路、アラスカの上空にさしかかり、突然にアメリカインディアンの古老の言葉(「あなたたちは、なぜ〝たましい〟の話をしないのですか?」)で会場が静まり返った会議を思い出しました。アンカレッジで開かれたリペイトリエイション会議です。〝帰還〟を意味するリペイトリエイションとは、世界中の博物館が古代・先祖の遺跡や墓から持ち去った先祖の埋蔵品や遺骨などを返還してほしい、という先住民たちの当たり前の願い・要求のことです。「風雪と歳月に晒されたトーテムポールはいつか消え、森が押し寄せてくるでしょう。それでいいのです。その時、そこはさらに霊的な土地になるからです。ですから、私たちのトーテムポール を持ち去らないで、元の村に戻して下さい」と、古老は静かに語り始めたのです。目に見える物に価値を置く社会、目には見えない心に価値を置く社会、この二つの世界・価値観の存在を改めて自覚した会議のことを思い出していると、機内のフライトマップに北海道が現れ、「静謐な場で静かな時間を過ごせるな」と安堵しています。

 中南米の混雑する大空港を乗り継いで、日本とは全く異なる多様な人々が行き交っている情景に浸っていると、人類の長い歴史の中で、この数十年間ほど、多くの人が国境を越えて大量にそして自由に移動している時代はいまだかつてないこと。そして、中南米の歴史を振り返ると新大陸への進出や世界の覇権した民族、そして移民政策による先住民との混血や民族浄化的な強制的混血などで、民族の血はミックスされてきた事が頭をよぎります。

 遥か昔に南アフリカで一旦、絶滅寸前まで個体数を減らしたホモサピエンスが、再び世界中に進出・繁栄する過程で、その土地・気候風土へ順応することで「民族」なるものができてきたので、「民族」は固有のものではなく、時間とともに変化・進化する流動的なものなのかもしれません。現代ほど多くの人・民族が国境なるものを自由に越え、いとも簡単に、そして大量に移動している時代はないことに改めて気づきます。仕事での往来・観光・留学・移民などといった形で、自然に平和的な形で混血は進んでいくでしょう。

 日本でも、仮に今後200年の間に7世代変わり(それまで人類が生存していれば)、国際結婚などで混血が毎年10%行われるとすると、200年後の純日本人(純日 本人という民族がいればですが)の二人にひとりは混血という計算になります。優れたアスリートも多く出そうだし、能力レベルも高くなっていくのではないだろうか?との妄想が頭をよぎります。
 そうなると今の日本と200年後の日本は随分と違ったものになりそうです。様々な国・都市を訪れると、多様な顔、言葉、風習、民族が同居しています。うまく融合していくことが出来れば、その国々・都市の良い文化や言葉は失われない。つまり今後、多様化する身体(民族あるいは血)というハードウエアと、その国や地域の持つ文化や振る舞いといういわばソフトウェアは、PCとOSの様に別物と考えることが、より自然になるのではないでしょうか。日本ではなかなか実感できないのですが、すでにヨーロッパや米国では、民族=国民=国家ではなくなっています。日本の文化や伝統の良さを守りつつも、世界中の様々なところに血縁がいて、緩やかな関係を持っている新しい日本、それも悪くはないんじゃないか。でも、その時に人々の心が穏やかになり、「静謐」で「人にものを想わせる土地や場」がとても大切になります。その魅力に惹かれて、多くの人々が集まってくる 〝大地〟、それが北海道なのではないだろうか?自然や本来の自分とのつながりを取り戻すこと(リコネクト)の出来る大地・北海道への道程は?そんなことを妄想しながら成田空港へ近づいています。

 振り返ると、今回の中南米訪問は、1988年に都市開発・都市改善の支援での初訪問からちょうど計30回目ですが、コロンビアへの初訪問以来、札幌に戻ってくると先ずはモエレ沼公園やアルテピアッツァに足が向かう習慣ができました。黄昏ゆく時間と場に浸りながら、清明な空間を支配する、自然の精ではない〝何か〟と会話したくなるのです。きっと、100年、200年後も語り続けている〝静謐な何か〟が潜んでいるからなのでしょう。インディアンの古老が言った〝たましい〟なのかもしれません。目には見えない心に価値を置く社会を静かに考えることができる二つの貴重な場、アルテピアッツァ美唄とモエレ沼公園での活動の緩やかな連携とソーシャルプロジェクトの可能性を探りたいと思いながら、「人にものを想わせる大地・北海道」に戻ってきました。