Vol.35 藤原惠洋さん「〈足思手考〉と〈こころを彫る〉」
〈足思手考〉と〈こころを彫る〉
建築史家・九州大学大学院教授 藤原 惠洋
1月終わりの日曜日。雪に覆われたアルテピアッツァ美唄のスタジオの窓辺にひらひらと雪が舞う。陽が落ち夕べが訪れる。朝から刻み続けた大理石の表面を撫でながらそっと愛おしむ。片付けを前に両の掌に包み込んで別れの挨拶「また来ます」。10年も前から〈こころを彫る〉授業に参加してきた。最初の石は九州大学の私の研究室の守護神となった。そして今、福岡から通い続け二つ目に挑む。
私の専門は建築、時に都市計画、だが決してモノとしての建築や都市をつくってこなかった。あえてコトとしての建築や都市を取り扱う。方法としては建築理論や建築史学に依り、時代の新陳代謝の生贄として破壊されてきた古い建物や町並みを守りながら、あるべき建築や都市の姿を唱える。行動哲学は〈足思手考〉。陶芸家河井寛次郎の言葉だが、恩師の故村松貞次郎東大名誉教授が授けてくれたものである。
現在はユネスコ世界文化遺産に関する専門家として国内推薦候補の選考と世界遺産の保護、再生、活用への計画策定へ指導・助言を果たす。世界や人類を照準としたユネスコ世界遺産だからこそ厳格な遺産マネジメントには観光圧力や開発圧力の課題も続出、宗教対立、国際間・南北間格差、政治的介在にも屈さない。遺産をどの時代のどの状態に保つか、「復原」(実証的根拠に基づく)と「復元」(妙なる想像力を駆使)の違いを見極め、自然の脅威や風化にも耐えうる包括的保全計画を構想する。
四季の徒然、ひとときアルテで耳を澄ませば、かつてこの地が炭鉱労働者の住居群に囲まれた小学校であったとは到底思えない。閑静な安田侃彫刻美術館から記憶の層を雲母のように剥いでいけば、活気と喧騒に満ちた産炭地があった。空知地方には数多く石炭遺産が遺され、吉岡宏高をはじめ善き私の仲間たちが遺産保存と再生活用へ真摯な取り組みを続ける。もちろんアルテとの協働も生まれている。
一方、建築や都市の空間や場で生まれるアートと生活環境が織りなす相互作用や影響関係へも関心を募らせてきた。私は少壮の1980年代から現代美術家赤瀬川原平や建築家・建築史家藤森照信らと縦横無尽に路上観察を楽しみ市井社会の感受性を挑発してきた。同時に台頭する市民社会の担い手を育む住民参加まちづくりの誠実な現場へ出向き、複眼的に地域の宝物の再発見や文化資源を捉える叡智を先導した。〈足思手考〉が契機となり「まち歩き」「まちづくりワークショップ」さらにアートプロジェクトや文化政策を軸に先駆けて「芸術文化環境論」講座を創出したのだった。
そこから、その地の文脈(歴史的形成過程 Context)を学び直し、矜持(誇り Pride)を育て、未来への紐帯(絆 Tie)の再生と感性の投資を促すことが、地域社会が蘇生し、地域再生や地域創生へ向け住民が主人公として活躍しだす最良の処方箋だと唱えるようになった。きわめて内省的な〈こころを彫る〉授業に参加しながら、あわせて旧産炭地の美唄のまち全体がこれからどのように蘇生していくのか目が離せないのは〈足思手考〉の精神が私を鼓舞するからに違いない。