Vol.07 久米 敦之さん「生の衝動、私たち自身のアルテピアッツァ」

「生の衝動、私たち自身のアルテピアッツァ」

北海道立近代美術館 主任学芸員 久米敦之

 アルテピアッツァの魅力とは何なのだろう。もちろん一言で語りつくされるものではないが、それでも、広場のどこかでしばらく佇んで思いを巡らせてみると、やがて判りかけることがある。
 アルテピアッツァを形成している自然景観は、いたってなだらかな起伏にぐるりと囲まれ、視界に大きく空をとりこみながら、自然のくぼみのなかに抱かれているような安堵感を覚える。しかしわたしたちがアルテピアッツァに魅力を感ずるのは、そこだけにあるのではない。そうした自然環境を私たちはいくつも知っているし、こと北海道ではまったく「不自由しない」景観であるから だ。自然美は、もともとそれのみで完結されるものであるから、整地された過程ですでにそこに自然自体の美は存在していないといえる。多くの人々が「美しく」「心地よい」空間と感じるのは、既にこの空間が文化化、人間化されているからに他ならない。つまり安田侃が行ったのは、この場所の自然空間の人間化といえる。
 それはまず作品の配置から伺える。慎重に考慮された配置は、どの位置に立っても作品が干渉しあうことがない。むしろそれぞれが小気味よいほどに結ばれ、循環し、ストーン・サークルのように響きあう。さらに眼を配れば、広場全体の中心に、丘の〈天聖〉と、それに対峙する〈天モク〉、そこに続いてたゆたう水路のつながりに気づく。天空から丘に降りてくる自然の精霊のような 「気」は、〈天聖〉の枠を抜け、〈天モク〉のわずかな隙間を通り、水路をまっすぐ掠め、少しずれて地上の〈地人〉に伝えられる。この「魂の軌道」ともいえる概念によって、アルテピアッツァの空間の中核が創られているのだ。
 この軌道の概念は、安田がいわゆる記念碑の制作に着手した頃に生まれている。1980年美唄三菱炭鉱跡に設置された 〈炭山の碑〉の、地中の炭鉱労働者の魂を天空に放つ三本の塔。ついで1983年、北海道洞爺湖サミットがひらかれた、その洞爺湖を見下ろす小高い丘の一角の、かつて結模患者の療養施設である道立洞爺湖教員保養所のあった場所に、その霊を慰めるべく制作された〈ゆかりの碑〉。現在安田の代表的なフォルムとなっている〈回生〉第1号は、この〈ゆかりの碑〉と向き合うように対の作品として洞爺湖畔に設置された。〈回生〉の、光がさしこんで浮かび上がるような地面とのわずかな隙間は、〈ゆかりの碑〉から降りてくる魂を誘って湖へ解き放つ、まさに軌道の役割を担っている。生者と死者、魂や霊といった精神世界をフィルムに変換させ たとき、安田の造形世界が完成されたといってよい。この作品以降、現在まで安田侃の造形世界は飛躍的に、豊かで重層的に展開されていくことになる。〈回生〉の3年後に同じ湖畔に設置された〈意心帰〉は、〈回生〉の発展系であり、うずくまるフォルムによって、有珠山噴火の泥流で湖畔に埋まった子らの魂と、今を生きる子らとを結ぼうとする軌道の提示であった。
 アルテピアッツァには、こうした安田が用意した魂の軌道が、〈天聖〉〈天モク〉から広がるようにいたるところに施されている。その軌道に沿ってこの広場を歩くとき、天空風や森や地面の確かな存在を、人は知らず知らず、ひとつひとつ作品を通して感じとっていることになる。つまりアルテピアッツァで 安田侃が行った自然空間の人間化とは、自然に対しただフォルムを干渉させる「場」の再生ではなく、人の精神世界の再生、再構成なのだ。自然状態のみでは人が気づき得ない、「気」の流動によって感覚界をゆさぶられて生まれる、生の衝動といえようか。石は眼前にそびえても、フォルムによって、威圧感 どころか親和感に満たされる。さらに、触れることで人は一瞬の生を感じとる。生きていることを、想い出すのだ。
 もともと自然の美しさとは、人が「見て」 知覚されるものではなく、わたしたちを取り込んで、感覚的に把握されるものだ。そのことに気づくとき、人ははじめて再生される。アルテピアッツァの魅力は、再生されることで生の衝動が宿る、私たち自身の感覚界にあるのではないだろうか。