Vol.10 美山 良夫さん「作品と響きあう空間と時間」
「作品と響きあう空間と時間」
慶応義塾大学アート・センター 所長 美山良夫
「こんどは、いつアルテに戻れるだろうか」東京に帰らなくてはならない 自分を恨めしく思いながら、彫刻が散在する光景を網膜に焼きつける。夏草が発する、うだるような匂いを嗅ぎ、子供たちの歓声と躍動が陽光を乱反射させる水面の眩しさや、音は聞こえているのに心地よい静寂が支配する時間を、からだいっぱいに感覚する。
私は、初夏のアルテしかしらない。だから、早春の、晩秋の、名残の雪があるアルテを訪ねるたのしみが、まだ私には残されている。アルテを離れるその 瞬間から、つぎにアルテに戻るときが始まる。
アルテに流れる時間に、私は特別な質を感じている。ここでは、今と歴史 が、今と悠久が、ともに流れ、呼応しあっている。この交感を起動させている のは、むろん安田侃さんの作品。それと、アルテピアッツァの空間と作品との、心地よい緊張をもった関係。
離れて配置された作品と作品とが、あるいは校舎の建物と作品とが、そして大地と作品とが奏でる協奏を感じとる。
いま美唄の大地から起きあがるかのような「天モク」と三本の足で屹立し ているかのような「天モク」(ともに大理石)、ギャラリーにある同名のブロンズ作品など、ひとつのテーマから生み出された変奏を味わう。
安田さんの彫刻は、作品を見る位置を人に強要しない。すきな距離と方向をさがし、ときには作品に触れ、まわりを巡り、自分のすきな場所をさがす自由が与えられている。だが作品の配置は、おそらく作家によって徹底的に考え抜かれている。その知略を感じながらも、自分の観る位置をさがそうとする愉悦。とくに「帰門」を観る場所を探すたのしみ。
彫刻は、その周りに相応の空間をもとめている。ひとつひとつの彫刻は、 律動や黙した旋律を響かせている。すくなくとも私は、この点をとても大事にしたいと思っている。美術館の彫刻室や野外展示が、ときとして息苦しく、騒々しいのは、何人もの作家の、それぞれ異なる響きが、手狭な空間のなかで混じりあい、不協和音を砲哮しているように感じるからだ。
その真反対にあるのがアルテピアッツァ美唄。アルテがいま実現している作 品と空間の美しい交響を壊すことのないようにしよう。
私には、まだ書いていない本がある。もともとはアメリカの軽便なガイドブ ックで、かなり前にその日本版をと思ったのだが、ひとりでは書けそうもな い。原書は、訳せば「アメリカの小さなアートの町百選」といった題名で、かなり版を重ねているらしい。米国らしく一位から順にランクをつけて紹介している。人口数の上限などいくつかの基準を設けているが、著者の主観もかなり入っているようだ。だがこの本を頼りにアートの旅をする人も多いという。
日本のなかで百選となると、なかなか思いつかなく、長く構想のままであった。だが、はじめてアルテピアッツァを訪ねた夏、やはりこの本は出さなくて はという思いが募るようになった。むろんアルテピアッツァと、ここを愛する 人の輪が広がる美唄を、最上位にランクする心つもりでいる。