Vol.14 マンフレード・フレデリッヒさん「アルテピアッツァ美唄によせて」
「アルテピアッツァ美唄によせて」
カトリック司祭 マンフレード・フレデリッヒ(元美唄アカシア幼稚園長)
今、私たちは毎日、美唄から東北に向けて、むこうの人々はどんな暮らし、どんな事情、どんな痛みと喜び、生と死の戦いのなかで生活しているのだろうと、心をよせています。最初のショックで涙が出なくなっても、今も映し出されるテレビの画面を見る時、また新たな涙が出てきます。
私にとって特に深く心に残ったのは、9日間助けを待っていた青年の救出でした。救い出されるその時、青年は「おばあちゃんを先に」と言いました。彼への後のインタビューのなかで「あなたは将来何になりたいですか?」と問われ た時、少し違った答えを期待していた私にとって「芸術家」という彼の答えは印象に残りました。そして、その時、アルテピアッツァの安田侃さんの作品が頭に浮かんできました。作品は私の中では、生と死、暗闇と光の心を表現しているととらえているからです。青年は、9日間の体験の中で感じた絶望と希望、暗闇と光、生と死の戦い、それら自分の心の中を、芸術を通して、私たちに伝えたいのではないでしょうか。
私は何年もアルテピアッツァで朝の散歩をしながら、自分の中にあるものを、芸術品を見ながら、光への道、希望への道、命への道が開拓されました。
アルテピアッツァの入り口はいろいろありますが、私はまず枕木でできている階段を登る古墳のような丘から入ります。この枕木の階段は、ただの階段ではなく、炭鉱で働いた人々の苦労の「しるし」です。古墳は、日本の文化でも韓国の文化でも、お墓のシンボルとなっていますが、その階段を登りながら、炭鉱で働いた人々の汗と殉職を思い起こします。
ところが天辺に着きますと、逆ピラミッドのように階段があり、そこを下りていきますと、地球のなかに入るようなものです。その中にある作品「天翔」は私にとって母のようなものであり、触れると安心感があります。いつでした か、小さな子供たちとそこを訪れた時、子供たちは作品に触りながら「きれいな空から雲がおりてきたみたいよ」と言いました。私にとってその子供たちの声から、この作品は天と土との出逢いの場所であって、土の中に休まれている 人々も母の懐の中で安心して休まれているのだという解釈になりました。
その後私は丘をおりて、ブロンズの作品「地人」に触れます。その作品は壁のようなものですが、片面は少し内側からノミでコツコツと削られたようになっていて、誰かが壁を薄くして向こう側に行こうとしているようなイメージです。私はこの作品を見ながらある方の言葉を思い出しております。その方は、火事によって全てを失ってしまったのです。プレハブの仮設住宅に住んでいた彼のもとにボーイスカウトたちとお見舞いに訪れた時、スカウトたちに一言 を、という私の願いに彼は「私たち人間は思っているよりも近いものです」と話してくれました。彼が人々から受けた善意、思いやり、励ましは、彼をまた立ち上がらせ、希望へと導いていきました。
いつも人間と人間の間にはさまざまな壁がありますが、私たちは思っているよりも近いのですね。ノミのコツコツと削られた跡を見て、それは私たち人間と人間との壁をお互いに薄くしようという必要性を思います。
大震災の後に災害に遭われた人々に対して、それぞれの思いの中で、励ましと援助をと思っているのですが、この作品の前に立って思うことは、人々のコツコツと壁を削る努力によって災害に遭われた人々と近くなり、人間同士の 壁を薄くしてゆくのではないかという思いです。
無力の壁を乗り越えて、思いやりと祈りでお互いに近づくようにと感じ、被災者の方々にとって、人間は思っているよりも近いものであるという新しい希望が生まれますようにと願っております。