Vol.21 増田 健太郎さん「こころを彫ること」
「こころを彫ること」
九州大学大学院 人間環境学研究院 実践臨床心理学専攻 教授 増田健太郎
アルテピアッツァ美唄と出会ってから、9年目である。札幌への出張の帰りに、どこか自然と触れあえるところはないかと友人に尋ねたところ、即座にアルテピアッツァ美唄と答えが返ってきた。初めて一人で行ったとき、人工美と自然美が統合された姿に感動と懐かしさを覚えた。そして、栄幼稚園を訪ねると園長さんや子どもたちが温かく迎えてくれた。その年の夏、院生8名を連れて、研修の場として訪れ、それから、毎年1回はアルテピアッツァ美唄を訪れている。
今年の4月下旬、はじめて、「こころを彫る授業」に参加することができた。桜前線と出合えるかと思っていたが、ふきのとうが雪をかぶっていた。自分が選んだ大理石を、のみや石細工道具で、自分の心を彫っていく授業である。侃氏曰く、「大理石を彫っていくと、無心になります。しかし、それが、あなたの心です」と。無心になっても心は石として形に残る。そこで、「それぞれの人にはそれぞれの心があります。決して、比較や非難をしないことです」との言葉を聞いた後、ミケランジェロも使ったという大理石の塊を選ぶところから授業は始まる。私は、自分の心のイメージに近い石を選んだ。大理石を目の前にして、立ちすくんだ。周りからは、石を彫る甲高い音が響き渡る。しかし、なかなか、のみが持てない。まず、石をずっと眺めてみた。そして、優しく触ってみた。そうすればするほど、自分の心を投影した石に見えてきた。ますます、石が彫れない。自分の心を彫ることになる感じがしてならなかった。臨床心理士だからなのか、自分のパーソナリティなのか、よくわからないが、心を彫ることに、恐怖を覚えた。しかし、しばらくして、石には傷がたくさんあることに気づいた。そこから、のみを持ち、石の傷をなめらかにすることから始めることにした。斜めに入った2本の傷を、のみで削るがなかなか消えない。消えたと思ったら、今度は石全体のバランスが気になる。バランスを整えるために、石を削る。その中で、また、傷が見つかる。だんだん、夢中になっていく自分を感じる。
私たちは、クライアントさんの心の傷を少しでもやわらげることを生業としている。だから、主訴(こまっていること)に焦点して、話を聴いていくことが多い。しかし、それで、傷が治ったとしても、心のバランスを崩していることもあるのではないか、という想いに気づかされた。傷も心の一部なんだと思えたとき、心のバランスがとれることもあるのではないか。大理石を彫りながら、そんな想いが駆け巡っていた。
二日間、石を削り続け、磨き続けた。しかし、完成はしなかった。「こころ─未完成」と名付けて、持ち帰ることにした。「こころを彫る授業」は、自分のこころと向き合う大切な時間であった。現代社会の中では感じられない、空間と心の瞬きがアルテピアッツァ美唄にはあった。アルテピアッツァ美唄、一度は訪ねてほしい、心癒される空間である。