Vol.22 浜野 安宏さん「存在の詩―冬のアルテピアッツァ美唄」

「存在の詩―冬のアルテピアッツァ美唄」

生活探検家 浜野安宏

 安田侃のソウルフル・マインドにふれたければ、雪の積もった冬に訪ねる方がいい。安田侃の彫刻は物体を、存在そのものにまで削ぎ落として、無為の物体にやどる精神性まで迫って行く芸術性がひろがっている。
 そのポツンとおかれた巨大な石や鉄のコンセントレートされた実態を体験したければ新雪をかき分けて出会い、感じるのが最もふさわしい。
 前の夜札幌の円山で大好きな寿司屋にいた。キリッとドライなシャルドネで喉を湿らせながら食べて外へ出たら雪が積もっていた。
 「そうだ!明日こそアルテピァッア美唄にいこう!」
 友人にせがんで、かなり強引にお願いしたら、招待してもらえることになった。しかも安田侃さんのご子息、琢さんが案内してくださったのだ。
 想いのなかに広がっていた安田侃のオブジェのおかれ方、観る状況、時間・・・すべてが完全だった。
 存在の核心が自然の中で際立つ白い宇宙。安田侃の精神的に支配する空間の大きさがあらためて迫ってくる。駅や巨大ビルのフロントに置かれている状況はけっして無意味ではない。しかし白い柔らかで無垢な雪に座している存在の大きさと美しさは比類が無く、厳かである。

■東京のイタリア大使館中庭でタージマハールを話す

 安田侃の彫刻が大きな意味を持った瞬間を思い出した。イタリア大使に招かれ昼食を食べながら素晴らしい中庭を見ながら談笑していた時だった。龍安寺の石庭の石のように、自然にポイと置かれた安田侃の岩が大きな存在になってきた。
 大使はその石の彫刻がかなり気に入っていて、安田侃の解説まで始められたほどだった。
 大使の話を聞きながら、私の頭の中にはタージマハールのアラベスクとムガール風の環境にミニマリズムの極限のようなホテルを建てようとしていた。そのフロントロビーの大吹き抜けには天空から光線のように太陽光線が入ってくるように設計させ、その真下に安田侃の大きな平たい白い石を置こうと決め始めていた。
 アルテピァッア美唄から、インドはアグラの灼熱の太陽を受ける大きい岩の彫刻へと焦点を結び、私は有頂天になっていた。
 地方の様式が強いから、私はホテルにデザインを超えたミニマルな造形で挑もうとしていたのだ。ホテルオーナーは賛同してくれたが、地域社会の反対にあった。私は地域のボキャブラリーを読み取って街並を形成して行く仕事を数多くして来たが、タージマハールの前では様式に准じるかぎり何をしても安っぽく見える。熟慮しすぎたかも知れないが、私と小川晋一の考えた白い大空間に安田侃という発想はインドの建築史に大きな存在となりえたはずだと思っている。
 アルテピァッア美唄の体験がこの発想に繋がっている。この想いは必ずどこかで結実させる。

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