Vol.23 ナガオカケンメイさん「時間の流れを取り戻すための機会の詩」
「時間の流れを取り戻すための機会の詩」
デザイン活動家 ナガオカケンメイ
日本じゅうを巡り、デザイン目線の新しい感覚のデザイン雑誌「d design travel」を作っていることで、やはり「島」として本土と離れている土地には独特な風情があることを感じます。僕が暮らす東京も大きな本土という島には違いありませんが、やはり、九州や四国、そして、北海道のそのなんとも言えない空気感の違いが好きです。もしかしたら時にそれは「不便」とか「田舎」とか言われてしまうのかもしれませんが、その言葉の根拠にある「孤立感」は、豊かな文化や都会と違う価値観をじっくりその土地らしい時間の流れの中で熟成することができる。沖縄にしてもそうですが、強く、にもかかわらず、ことばにできない詩のようなコトがそこにはあります。はじめてアルテピアッツァ美唄に来たとき、そう思ったように。
取材の関係でモエレ沼公園にも行っていた経験からアルテピアッツァに来るとなぜかホッとする。モエレが力強い父なら、ここはやさしく包み込む母のように感じる。侃さんの作品素材は石。僕は彫刻や芸術は詳しくはわからないけれど、冷たく堅いはずのその素材が、置かれる場所とともに生き物のようなやわらかくあたたかい感じに思えるから不思議だ。
アルテピアッツァは北海道という孤立した大きな自然による詩だと思う。そしてここは「公園」でも「カフェ」でもなく、私たちの身の回りにあるわかりやすい用途の場ではない、ちょっと普通では作り出せない空間で、だから僕はこの原稿を書くのに苦労している。文字に表現できそうにない作品と自然と子どもたちの歓声と、風と太陽と雪と校舎と芝生と樹々と人のやや怯え近づく好奇心とが入り交じっていいる。
はじめての人は旧体育館2階にある侃さんのビデオを見ることをおすすめします。理由は本当は一年かけてずっとその場でおこる自然と四季と作品と人が作り出す情景を見て欲しいけれど、現実には難しいから、その本当は感じて欲しい長い時間によるアルテピアッツァをそこでみることができる。僕は少なくともそう思った。
奥の方に素敵なカフェがある。もしかしたら誰も気がつかないような存在としてある。それを発見したときも、おなじように思った。ここは詩なのだ。場所全体で時間の流れを感じるために、案内も小声だ。
文明が進化して、私たちは私たちの時間の流れや使い方を剥ぎ取られた。商品の価格がオープンプライスとなり放棄され、ものに意思がなくなっていく。自然の日々のうつろいに昔の人は敏感だった。春を秋を敏感に感じることが出来ていた。アルテピアッツァは奇跡だと思う。解放されたその詩のような広場は、私たちが失った時間の流れを感じ、取り戻すための機会だと思う。その目印に侃さんの形がずっとある。