Vol.24 大野 繁さん「上ノかふぇ二居リマス」
「上ノかふぇ二居リマス」
写真家 大野繁
視界の左端に意心帰の白を感じながら書いています。
だいぶ前の事になりますが初めてアルテを訪れた時の衝撃は未だに忘れられません。
雑誌の連載物の一つとして撮影に来たので殆ど予備知識無、期待も予断も無く、ほぼまっさらな気持ちで出会えたのが、かえって幸いしたのです。
アルテの敷地(と言っても柵一つ・ロープ一本張ってあるわけではない)内に入るや空気が一変し、私の中で何かが起きたのです。仕事で来たことなどすっかり忘れて撮影に没頭していました。気がつけば日は西に傾き、撮り切れていないもどかしさか、心の昂ぶりのせいか今となっては定かではありませんが、一瞬風景が歪んだのは覚えています。後から聞いた話ですが、その時の私をギャラリーから見ていると少し前のめりに成って歩き回っていたそうです。これが私とアルテとの出会い、第一幕です。
帰京してからもあの時見た光景が脳裏を離れずにいました。嘗て体験したことの無い、初めてなのにどこか懐かしい様な、静かな昂ぶりの源を探るべく、アルテ通い(第二幕)の始まりです。しかし海峡を越えるのはおいそれとは出来ず、北海道への出張がある時は、何とか日程をやりくりし、そうでない時でも禁断症状(アルテ切れ)が出そうなときは無理やり北を目指しました。冬、膝上まで積もった雪の中を嬉々として歩き回り、果ては大雪で千歳が閉鎖になり思わぬ長逗留になったこともありました。そうこうしている中に通うだけでは何かが足りない気がしてきました。
真のあるてぴあっ子に成るために必要な事とは何か、通うのではなく居る必要がある、そのためには何をすれば良いのか、病膏盲に入った論理と言うよりは屁理屈に近い堂々巡りの思考の末、写真展を敢行するに至りました。秋も深まりつつある季節に一人静かにアルテと対峙する時間を持てたことは、アルテを撮り続ける上では必要な時間だったのだと確信しています。
写真展を通して、アルテを深く愛する方々にも出会えましたし、私事を付け加えるならば、家族の絆を深めるのにも一役立ちました。妻と二男は展示を手伝ってくれましたし、独立していた長男は初日に駆けつける道すがらカシオペア車中でプロポーズをしたと、フィアンセを帯同、思わぬ方向に発展した嬉しい誤算もアルテのお導きでしょうか。此処までが第二幕です。
ある日訪れると偶然か奇跡か新作の設置に遭遇します。安田先生との初めての出会いです。位置を決めるまでのしびれる様な緊張感の中、恐る恐るレンズを向けていました。
申し分のない第三幕の幕開けです。折に触れ写真を見て頂けるようになったのもこの頃からです。自分自身の中で一度区切りを付けようと東京でアルテをテーマに写真展を開催しました。その後トリノ展・シチリア展とアルテで見慣れた夢や門が歴史あるヨーロッパの街並みに何の違和感もなく、溶け込み、対峙している姿を目の当たりにして、新たな視点でアルテの作品たちに向き合えるようになりました。光栄な事に今年はカレンダーにも採用されました。怒涛の第三幕進行中です。故あってこころを彫る授業には参加したことはありませんが、撮り続けることが私のこころを彫る授業であると信じています。
「すみません、珈琲お代わりお願いします」これを飲んだらもう一度撮影してきます。
撮ってから飲むか、飲んでから撮るか・・・
撮っていない時は「上ノかふぇニ居リマス」