Vol.25 渡辺 尚子さん「その先の風景」

アルテ通信 Vol.25

「その先の風景」

ライター、編集者 渡辺尚子

 初めてアルテを訪れたのは、大雪の日でした。木造建物の二階に上ると、床板がきしんで小さな音をたてました。なんだか懐かしいような気持ちで見回していると、スタッフの女性に「ここは初めてですか」と尋ねられました。はい、と答えると、その方はにこっと笑い、この彫刻広場のあらましを説明してくれました。ひとことひとことが、降りしきる雪に溶けていく。そんなふうにして、この場所の物語を知りました。
 話の途中で、彼女はさりげなく、傍らの作品に指先をすべらせました。驚いて見つめると、彼女はほほえんで「ええ、ここの作品は触っていいんです」というと、今度は掌で大きく輪を描くようにして作品に触れました。
 思わず私も作品に近寄り、腕を広げました。抱きかかえてなでさすると、白い大理石はすべすべとしています。体を預けて目をつむると、なめらかな石に、自分の体温がじんわりとうつっていきます。魂を抱いているような気がしました。
 それから北海道を訪れるたびに、アルテに立ち寄るようになりました。ここは、私にとってどこまでも優しい夢のような場所だったのです。
 私の生まれた東京は、私が生まれるよりずっと前から、いつも変わり続けてきました。古い建物や馴染んだ樹木が突然消えて、新しい景色が生まれてくる。失うことを悲しみすぎないこと、うつろうことに対してタフになること。それは、傷つきたくない、ということもあるけれど、なによりも自分が生まれ育った町への愛情表現なのです。
 アルテは、四季折々に自然は変化するけれど、穏やかな空気は変わりません。白い大理石は魂のようだし、黒々としたブロンズは残像のようです。そしてそれらが、なめらかだったりぼこぼこしていたりいびつだったりしながら、樹木や空にすっぽりと包まれて、ひとつの雰囲気を生み出しています。アルテの空気を支えているのは、昔から変わらない美唄の自然風景なのだと考えていました。
 あるとき、地元で生まれ育った方に話を伺いました。その方が幼かった頃、美唄は約10万人が暮らしていたといいます。
 「商店街は賑やかだったし、映画館もあった。ここらだって、今みたいにたくさんの木はなかったねえ。炭鉱住宅が並んでいてさあ、僕もそこに住んでいたの」
 変わらないと思っていたアルテは、時代と共に変わるしかなかった町の、変わり続けたその先に生まれた風景なのだ。そのことにようやく思い当たり、衝撃を受けました。もしかして安田侃さんは、だからこそ変わらないもの、それも、とてつもなく大きなものをここにつくったのではないか。ただひとつ変わらないものがあれば、人はいつでも戻ってくることができるから。これもまた、故郷を愛するひとつのかたちなのだ、と思いました。
 大理石も、実は経年とともに変化するのだそうです。しかしその速度は、人間の刻む時間よりもはるかにゆるやかです。変わらないものなどない。それは、なんと自然でいとおしいことだろうと、今は思っています。