Vol.29 田中 未知子さん「可能性を解き放つ空間、アルテピアッツァ」

アルテ通信 Vol.29

「可能性を解き放つ空間、アルテピアッツァ」

アーティスティック・ディレクター/瀬戸内サーカスファクトリー代表 田中未知子

 アルテピアッツァ美唄には、ぐるりと取り囲む塀はなく、決まった入口もない。広場の中央に、天空にぱかっと口を開けた「帰門」。門だけれど、横からも抜けられるし、通らなくてもいい。ただ、帰ってきた人を「おかえり」と迎える門。
 14年前、北海道新聞社事業局に勤務していたとき、「安田侃の世界」展を担当し、アルテピアッツァを知った。小さな子どもたちは、彫刻と遊ぶ。そこには、「アーティスト(プロ)」と「観る人(アマチュア)」の垣根もないし、「美術館」と「幼稚園」の堺もない。この懐の深い場所で、昨年、北海道教育大学岩見沢校の事業として、長年の夢であった、現代サーカス公演を実施させていただいた。
 道産子の私が瀬戸内に単身移住し、現代サーカス文化を育てる活動を始めて6年になる。移住した理由のひとつは、農村歌舞伎や雨ごい踊りなど、地域芸能をごく自然に行っている人々に出逢ったことにある。かつて、芸能は、農業や漁業の「祀り」とつながっていて、誰もが実践するものであった。現代の「趣味とは意味が異なり、すべての人が共同体の中で役割をもっていた。
 いつから、生活から芸能が抜き取られ、「表現する人」と「見る(だけの)人」に分かれてしまったのだろう?すぐれた舞台作品は劇場へ、美術作品は美術館へ―…生活と芸術文化は離れ、見えない壁ができてしまった。
 こうした「壁」は、どこにでも存在する。フランスにいる私の師匠ジャン・ディーニュ氏は、1973年に世界に先がけて大道芸祭のモデルをつくった人である。パリから離れた南仏の小さな町、エクス・アン・プロヴァンスで、彼は、劇場や美術館など「芸術のために作られた場所」ではない「だれでも来られる場所」、つまり道路、公園、カフェなどに、あらゆる分野のアーティストを呼びこみ、自由な表現活動をうながした。市民の生活から分離されていた芸術を、取り戻そうとしたわけだ。ジャンは、イベントそのものより遥か先を見据え、「壁のない、自由な交流がもたらす新しいビジョン」を描いた。
 壁を壊すのには勇気がいるし、「壁(塀)をつくらない」ためには、強い意志が必要だ。現代サーカスや大道芸で最も大切にしているのは、固定概念からの解放だ。あらゆる「当たり前」に疑問を投げかけ、常に新しい視点を探すこと。
 アルテピアッツァ美唄になぜ塀がないのか?入り口を決めないのか?それはまさに、あらゆる人に開かれた探求のチャンスである。いっしょに考えてみましょう、来る方の提案を聴きましょう、というのである。単に「善意を信じる」というレベルでなく、人ひとりひとりの可能性を信じるには、作家が自分と作品を信じられなければならない。
 昨年、アルテで現代サーカス作品「ツミキデポエム」を上演するにあたり、安田侃氏は、現代サーカスという、およそ馴染みがないだろうジャンルであるにも関わらず、彫刻の中や上までも表現の場として受け入れてくれた。アーティストは、大理石のずっしりとした重み、ひんやりした冷たさ、なめらかさをセンシュアルに表現した。
 人の可能性を制約しないから、日々、アルテピアッツァは変化しつづける。決して、飽きられることなく。