Vol.32 來嶋 路子さん「彫刻は子供たちを待っている」
「彫刻は子供たちを待っている」
森の出版ミチクル編集者 來嶋路子
20年ほど美術やデザインの本の編集を続けていることから、美術館やアートスポットに足を運ぶことは多い。7歳、4歳、1歳になるわが子たちを連れて行くこともあるが、じっくり作品鑑賞することは不可能だ。子どもたちは展示空間を見回して、心の引っ掛かりがなければすぐに次の部屋へと走っていく。そして、ぐるりとめぐったら、あっという間に「帰ろう」コール。一点ずつ見ていきたい大人と鑑賞スタイルはまるで違う。待たせていると作品に〝いたずら〟しそうな気配を感じ、そそくさと展示室を後にすることになる。
静かにおとなしくしていなければならない展示空間は、子供たちにとって退屈なことも多いが、アルテピアッツァ美唄は違う。初めて体育館と校舎のなかに入ったとき、「ここの彫刻は触ってもいいんだよ」と子どもたちに話すと、瞳がキラリと輝き、縦横無尽に駆け出した(走ってもいいよとは言っていないのだけれど)。
展示されている彫刻ひとつひとつに抱きついたりよじのぼったりする様子を見ていると、美術展でいつも感じていた、ある種の緊張感から私自身も開放されていくような感覚を覚えた。
安田さんの彫刻を写真でしか見たことがなかったときは、寡黙にじっとたたずむ動かぬものだと私は思っていた。しかし、いまこうして子供がたわむれている空間全体のなかで見てみると、丸みを帯びたフォルムがユーモラスだったり、壁や床から生き物が顔を出しているようだったりと、さまざまな物語がわいてくるように感じられた。そのときなぜか、この彫刻たちは、子供たちが来るのを待っていたのではないか、そう思えたのだった。
「一面真っ白な雪に覆われた山の中の幼稚園に、どんな吹雪の日も色とりどりのアノラックを着て元気に通ってくる子供たちの姿が、私に何かを訴えかけていた。この子供たちが喜ぶ広場にしよう、この思いがアルテピアッツァ美唄創生の火種となった。」(『アルテピアッツァ美唄-安田侃の芸術広場』より)
1985年頃、イタリアで制作をしていた安田侃さんが、日本でアトリエを探していたときに、廃校となった小学校を使ってみないかという話があったという。その一部に併設されていた幼稚園に通う園児たちの姿が、この場を生み出すきっかけになったと安田さんは振り返っている。
屋内の彫刻をめぐったら、わが子たちは外へと飛び出し、さらに活発に動き出す。大理石の石が敷き詰められ、その先に門を思わせる彫刻が立つ《天聖・天モク》は、かっこうの水遊びスポット。色とりどりの水着やTシャツの子供たちの姿が、真っ白な大理石にとてもよく映えている。季節は違うけれど、安田さんが語っていたアノラックの子供たちの姿と重なるように思えた。
夕方の風が吹く頃、時間を忘れて水とたわむれる子供たちに、「帰ろう」コールをするのは親の方だ。
「楽しかったね、また来ようね」
そんなふうに笑いあいながら帰路につけるアートスポットが、私の住む北海道にあることがうれしくてならない。